江戸時代、松阪には、「織物の神様」として信仰を集めたお宮があり、京都西陣からも「衣服大祖」と月参するほど。
伊勢の大神宮にお供えする麻と絹を織るところで、正しくは「神麻続機殿(かんおみはたどの)」「神服織機殿(かんはとりはたどの)」と言います。
そこは、五世紀の後半、大陸から渡来した技術集団、漢織(あやはとり)、呉織(くれはとり)たちが住みついた松阪市の東部一帯であり、その地にわが国に初めて紡績のメカニズムが持ち込まれ、高度な技術によって、古代日本の一大紡織の中心地になりました。
その後698(朱鳥13)年、時の文武天皇から「連(むらじ」の姓を賜り、氏族と公認されて以後、服連(はとりのむらじ)麻続連(おみのむらじ)として、伊勢の太神宮(アマテラスの神)に織物を献納することを義持づけられることになったのです。
その名残が機殿であり、今も松阪市の東部には、先述しました神服織機殿・神麻続機殿という神宮の工房があり、毎年五月と十月の十四日に行われる神御衣祭(かんみそさい)にお供えする和妙(にぎたえ)=絹布、荒妙(あらたえ)=麻布を、古式通り奉織しています。